妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい


生き方より死に方。人生の引き際。美学。


やはりヴィンテージのカップは小さいので、コーヒーの粉末を半分にして二度に分けたらおいしく飲めた。濃度がちょうどよくなった。昨日いつものカフェで買った新しいコースターの上にカップを乗せている。趣深い。気持ちに余裕がなくて癒しが足りないけれど、こういう小さな楽しみを大切にしたい。マニヤックな趣味の世界。自分だけの世界。ひとりでニヤニヤしてしまうようなものを持っているのはよいこと。


泣きそう。泣きそうだよ、先生…僕は先生の前で泣いたことは一度もない。先生の涙は何度か見たけどね。女のひとに泣かれると、何だか自分が悪いことをしたような気になる。自分が悪いなんてことは全然なくてもね。先生は幸せなの?だけど苦しいこともある。それを依頼というかたちで僕に頼ってくれた。僕を信じて必要としてくれたんだ。僕はそう思い込む。先生は重いテーマだと言ったけど、僕は重いというよりむしろ深いテーマだと思う。だから負担にはならない。先生からの依頼ならなおさらだよ。生まれつきの持病の調子がかなり悪い。頭を使って賢く生きなければならない。どうにかして生き残るために。まだ僕には居場所がある。自分の居場所があるうちは死にたくない。


先生のこと嫉妬してるのかな。僕はまだ子供だから。そんなに簡単に割り切ることなんてできない。幸せな先生を助けたいという気持ちは何なんだろう。苦しんでいる先生だから助けたかったんじゃなかったのか。先生は幸せだけど苦しんでいるから。だから僕は先生のことが心配で、先生のことを助けたいと思うのだろうか。先生の役に立ちたいから。先生に必要とされたいから。先生が幸せかどうかなんて関係ない。自己満足。それでもいいじゃないか。僕だって楽しく生きたいんだ。先生に癒されたい。先生に誉められたい。先生に認められたい。先生にとって僕という存在は何なのですか?


一線を越えたらおしまいだね。そのときは医師として毅然とした態度で臨む。患者の意志はもう意志として扱うことはできない。患者自身自分を制御することが不可能な状態に陥っているはずだから。


自殺願望のある患者に対する治療目的は、必ずしも自殺させないようにすることではない。


誰かの役に立ちたい。誰かに必要とされたい。だけど誰でもいい訳じゃない。先生じゃなくちゃ駄目なんだ。何故なのか。やはり今尚先生は僕にとって、唯一の理解者であり心の支えなのかも知れない。


意外と時間がかかってしまったな。鬱だと体がうまく動かない。ストイックに過ごしたつもりだったんだけど。まあいいか。どうせ明日はやる気ないし。生き地獄にならないように祈るだけです。それ以上は今は望まない。エヴァを読んだら寝ようか。