妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

先生のことを想い浮かべる。どうせ死ぬからどうでもいい。僕はよくやっている。先生に誉められたくて生きているのかも知れない。


あと残り1/3。絶不調の割にはがんばれた気がする。無理はしない。できるとこまでやればいい。食欲はない。さりげない優しさ。その姿はどう映っただろう。見返りは求めない。期待すると裏切られるから。少しでも楽しみがあれば、気持ちの上がるきっかけとなり得る。小さな楽しみを見つけたい。意識して探してみようか。


僕は先生に患者として見られたくない。ひとりの人間として。対等な立場でお話したい。もはや精神科医と患者の会話ではない。そんなお話ができたら僕は満たされる。僕も先生のことは精神科医でなく、ひとりの人間として見ている。


ストイックに家事をこなす。だけど今日もおでこが痒い。昨日のようにはなりたくない。どれだけ開き直ればいいのか。諦めと妥協を何度も何度も、繰り返し繰り返して生きてきた。たまにはごほうびが欲しい。誰もくれないから自分であげる。


痒い。無気力。死にたい。


痒くて眠る気にならない。もう日付が変わった。疲れているはずなのに眠くない。寝るのが怖い。一日くらい眠らなくても平気かな。明日は仕事だからさすがに無理か。仮眠レベルでいいような気がしている。肉体的な疲れより精神的な疲れのほうが、はるかに大きい。不便な体。今日は雄弁を奮ってしまった。こんな言葉は何の意味もないのに。心の言語化に一層の虚しさを感じる。


現在午前1時20分。まだほとんど眠れていない。手と首と後頭部を掻いて起きた。おでこも掻いた記憶が残る。眠りに落ちたかどうか定かでない。本当に仮眠レベルになってしまう。何故こんなに痒いんだ。しかも毎晩毎晩毎晩毎晩…こんなんでも仕事に行ってるんだ!何でこんな思いをしてまで無理をしなければいけないのか?生きるためには仕方ない。死にたくないから。死にたいとか言って根本的なところは死にたくない。まだわずかな希望が残されていると信じているのかも知れない。可能性はゼロじゃない。限りなくそれに近いけれど、ゼロだと言い切ることはできない。それとも単純に本能的なものなのか。こんな僕にも生存本能というものがあるのだろうか。病気持ちのプライドが邪魔をしているのか。それが自分を殺すことを阻んでいるというのか。無駄に高いプライドのせいで死にたくても死ねない。
結局明日も無理をする。明日こそ早退したいよ。このストイックに生きる姿は格好いい?誰も見ていない。自分だけの自己満足に過ぎない。それでも先生だけは見ていてくれる気がします。認めてくれる。誉めてくれる。きっとそうに違いないと思うのです。