妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

今朝は寝ている間に掻いた形跡が少なかった。あんまり少ないと次が不安になるのだが、たぶん大丈夫だろう。目覚めは悪くない。今日も休みなんだ。まだ明日のことは考えなくていい。


先生はオフモードのとき死んでいるかも知れない。僕は逆にオンのとき死んでいる。やりたくもない仕事をして、アパートに戻れば家事をして疲れて眠るだけ。オフモードのときに本当の自分になれる。僕がどこまでも僕で居られる場所で楽しむことができる。


先生がお酒なら、僕はお薬。


忙しい。忙しく遊ばないと時間はあっという間に過ぎる。時間はいつでも意識する。ゆっくりする暇なんて実際わずかしかない。それでも限られた条件のなかで、なるべく、できるだけ、それなりに楽しむ。


一度止まったらもう二度と歩けない。動き続けていないと死んでしまう。


僕にはいつものカフェと先生しかない。


先生は午前最期の患者に僕がなるほうがいい?僕はそう思ってる。それなら遅めにクリニックに着いたほうがいいよね。


常に何かに追われている。何かに待ち伏せされている。そんな感じがして、焦りや恐怖や不安になるのだと思う。


今不安なこと。そのときが来ればそれなりに対処できる。今までもそうしてきたのだし。今できなくても、やらざるを得なくなればできるようになる。自然にやっているはず。


サイドビジネスでなく、サイドワークが欲しい。それがライフワークとなり得るようなものが。僕はお金が欲しいんじゃない。生きている意味が欲しいんだ。


僕の想念をきちんとまとめて、ちゃんとかたちにしたい。ここ数年言葉こそ違えど、同じことを繰り返し考えているように思う。変わっていない?いや、考えがより深くなっている。考え方自体はほとんど変わっていないだろう。ひとの考えなんてそう変わるものじゃない。


バランス。バランス。


窓を開けると涼しい風が部屋に流れてくる。しかし祭りの音が不快でたまらない。せっかくこんなによい風が入るというのに、窓を閉めてエアコンを使うのはもったいない気がする。祭りの音と言っても案内放送ばかり。だがこれが鬱陶しい。早く終わって欲しい。祭りなんていらない。浴衣姿の女の子と夏祭りに行けるのなら話は別だが…そうでないなら祭りなんて迷惑な騒音でしかない。好きじゃない、いや大嫌いだ。


花火の音がうるせー。部屋からは木の陰になってよく見えないし。鬱病患者にはかなり堪える。浴衣姿の女の子と花火大会に行きたいなー。行きたいな…はぁ…。お祭りなんてなくなって欲しい。何がそんなに楽しい?ただうるさいだけじゃないか。早く終われよ。音が聞こえるだけで疲れる。


ようやく静寂が戻った。窓から入る風が心地よい。まだ案内放送が聞こえる。こんなに遅くまで、明日は仕事じゃないのか。みんな元気だな。健康な証拠だ。僕にはできない。だから僕にしかできない、僕だからこそできることをやりたいと思うのです。


何故だか時間がかかってしまった。外の音に気を取られて集中できなかったせいか。明日は1/5。オフのなかに小さなオンがあるように、オンのなかにも小さなオフがある。どんなに小さなことでも、それはとても大きな力を持つ。