妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

嫌なことが頭に浮かんだら、それを消そうとしたり、他のことを考えたりする。だけどなかなかうまくいかない。無理に消そうとするよりも、嫌なことを考えても平気な状態にしたほうが効果的だ。例えば嫌なことは仕事のこと。ならば僕はエリートなのだから仕事なんてたいしたことではない、くだらない、取るに足らないことなのだ。そう思えたら自然に嫌なことは頭からスッと消えていく。


タリーズでカフェラテとアボカドのホットドッグ。ラテはエスプレッソショット追加でまあまあ楽しめる。スプーンがないから細長い木の棒でかき混ぜた。それでも最後にラテの泡が残ってしまう訳だが。ホットドッグはケチャップとマスタードをセルフで袋から開けて出さなければいけなくて面倒で萎えた。もうたぶん行かないと思う。今日はその確認ができたからよかった。
タリーズ→クリニック。今日は先生に会える。待合室が座る場所がないほど混んでいた。こんなの初めてかも知れない。息がつまりそうなので受付だけ済ませて外に出てきた。あんな所にいて平気ならもう病気じゃないと思う。手伝いに来る他の病院の医者がいないようだった。だから混んでいるのか。何かトラブルでもあったかな。僕は人混みが嫌いだ。人が多い場所に耐えられない。こういうときに実感する。クリニックは自分の居場所なのに。いや同じクリニックでも待合室は僕の居場所じゃない。診察室、つまり先生の前が僕の居場所なんだ。待合室でも人がこんなにいなければ落ち着ける場所なんだけどね。今日は異常だ。患者は他人だから。他人がたくさんいる場所にはいられない。いつもと違うと疲れる。それでも先生とお話したいと思う。


時間を置いて戻ったら別世界。待合室にいた人達は嘘のように消えていた。あれは一体何だったんだ?タイミングが悪かったのか。まあ外に出て正解だった。座るスペース自体なかった訳だが。やっぱり先生は大変だな。幸せになっても苦しんでいる。先生は苦しんでいる。


先生の役に立てたかな?先生はどう思った?僕は先生とお話しして心が満たされた。とても楽しい時間だった。安心と自信の気持ち。先生とあんなお話ができるのは僕くらいでしょ。少なくとも患者の中では僕だけだと思う。僕は変わった患者なんだ。先生にはどう映っているのだろう。僕の考えは先生を通してようやくかたちになる。僕が何を言っても誰にも聞いてもらえないけど、先生が言えば説得力を持つ。僕の考えはそこで初めて意味を持つ。世の中に認めてもらうという意味で。僕のなかで、あるいは僕と先生のあいだではとっくに意味を持っている。狭い世界のなかだけでは。僕はそれでもいいと思うけど、先生は診察とか講演で外の世界に触れる機会が多い。だからできれば僕と先生だけの狭い世界だけでなく、より広い世界で認められることが望ましいのだと考える。すべては自分の脳内で起きている。だけど僕らは外の世界で生きている。より広い世界で認められることで、生きづらいこの世界で生きるのが多少は楽になるはず。


いつものカフェでいつものひとりランチ。また欲しいものを見つけた。今は黄色いものが好き。やわらかな癒しの色。焦ることはない。たくさん悩んで迷う。それはとても楽しいこと。先生とお話した余韻に浸りたくて、いつもより少し長い時間カフェにいた。
気持ちが上がると口角がひきつってしまう。顔が痺れている感じ。意識するとますますひどくなる気がする。何なんだろ。これも一種のチック症状なのだろうか。こんなふうになることはめったにないからいいんだけど。つまり気持ちが上がることがめったにないということだ。少し頭痛がする。やはり疲れたな。家に帰って休もう。休みの時間はまだまだ残っている。楽しもう。僕には居場所がある。僕の存在を認めてくれるひとたちがいる。僕はまだ生きていける気がしている。


現在午前2時12分。顔と頭を掻いて起きました。どうにか痒みに耐えて弱めに掻いたので、惨状はましなほうだった。しかしあくまで惨状は惨状。気持ちが底に沈みます。せっかく気持ちが上がっていたのにもう台無し。寝る前に顔が少し痒かった。病気だから仕方ない。枕を真っ赤な鮮血が染めた。発狂寸前のとこで何とか気持ちを静める。何もかも嫌になる。物欲が覚めていく。逆に欲しいものを全部手に入れてやろうとも思う。こんなに苦しんでいるのだから、自分にごほうびをあげなければいけない。あと5時間眠れる。このまま朝まで起きなければという条件付きだが。とりあえず明日を生きることを考える。明日を楽しむことしか考えない。前提は完全に崩壊した。どこまでを限界とするかは自分次第。やれることをやれるとこまでやって、それで駄目ならおしまいだ。潔く諦めよう。対症療法すらできない。本当に死にたくなる。