妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

通院日なので街まで出かけます。外は陽が出ているので比較的暖かい。でも風は冷たい。やっぱりマフラーはできない。敏感な首が過剰反応を起こしそうだし皮が付くのがつらい。手袋もできない。手のひび割れがなくならないから。不便な体。だけど寒さには強いほうだから平気。ずっと外にいる訳でなし。夜になる前に帰るし。昨晩の睡眠の質は最悪だった。先生もきっと寝不足。お揃いの寝不足で楽しいお話をして癒されよう。


いつものカフェに来てます。クロワッサンと小さなパンとラテでひとりランチ。食欲がなくて少なめにしました。まだ時間が早いからなのか、それとも久しぶりに外に出て緊張状態にあるせいか。胃がキュンと縮こまっている感じがする。痛みはない。外に出るのは二週間ぶりだからね。体が家にいるときとは違う反応を示すのかも知れない。
コンビニで心理学の本をコピーしてきました。先生に渡すため。今朝起きて面倒だなと思ったけど結局コピーしてきたのは、やっぱり先生に伝えたい気持ちが大きいからでしょう。該当するページを直接見てもらったほうがわかりやすい。素人の僕が言葉で説明するには限界がある。本当に以前先生が言っていたことにピッタリくる理論なのです。ここから『お手伝い』の話に持っていけたらという下心もなきにしもあらず。今日はカフェ→精神科で終わらずカフェ→精神科→カフェになる予感。天気がよいから少し街に長居したい気分です。まあ診察の後の気分次第ですけどね。何だか気持ちが上がってきたみたい。先生に会えると思うとワクワクしてくる。


精神科に来ました。カフェにいたら子連れが隣の席に座ってうるさくて居心地が悪いので早めにお店を出ました。銀行と郵便局に寄ってからクリニックに来ました。上がった気持ちが落ちてしまったけれど、また徐々に上がりつつある。ここは僕の居場所。安心できる安全な居場所です。疲れている。だから癒してもらう。昨晩のせいで落ち込んだ気持ち。どうせ死ぬのだからどうでもいい。生きている今を楽しむ。せっかく生きているのだから楽しみたい。


今年になって三日に一度のペースで掻いて起きていることになる。18分の6。変わってきてはいるけれど変わってはいない。まだまだ苦痛は続いている。これから先のことを考えるには余裕が足りない。焦ってどうなるものではない。自分の力ではどうしようもない部分が大半なのだから。自分の力でどうにかなるところは意識してよりよいやり方を探し求めていく。ほんの少ししかないとしてもそこに賭けるしかない。臨機応変に。バランスが大切です。僕にとって生きるというのは病気と闘い続けること。病気から逃げるのならば僕は死ぬしかないのです。


カフェ→精神科→ドトール。雲行きが怪しくなってきたのでこのまま帰ることにしました。精神科で一時間待ちだったので時間も遅めになったし。また明日天気と気分次第で街に出ようと思います。気分が高揚している。先生から久しぶりの依頼を受けました。僕を信頼してくれているからこそという内容の依頼なので素直にうれしい。これで無意識でつまらない日々から解放される。毎日先生のことを考えて先生のために先生の役に立てるようにがんばれる。それは自分のためでもあるのです。先生からの依頼は僕の宝物。まだ生きていける。僕には先生がいる。テンションが上がってきた。生存本能が顔を出してきた。生きてるって実感できるような気がしています。


あーよかった。心理学の本のコピーも喜んでもらえたし、先生からの依頼も受けることができた。きっと無気力でつまらない日々から解放される。これでアトピーの調子がよくなってくれればなー。言うことないのにな。ストレスのせいでアトピーが悪化することがあるのだから、うれしいことや楽しいことがあれば逆にアトピーがよくなる可能性だってあるはず。鬱とアトピーはリンクしているのです。たまには調子に乗っていいときもあるんだよ。今はそのとき。勘違いでもいい。自惚れだって構わない。僕は少しくらい調子に乗っているくらいがちょうどいい。この高揚感は気持ちが下がることのないものだと思う。『持続する』高揚感なのだと思うのです。やっぱり先生なしでは生きていけない。だけど先生がいれば生きていける。今はそれでいい。


つまりは先生の口癖を考えればいいってことかな。先生の名言をズラッと並べればいいのです。先生は言うほうだから自分では気付かない。僕は聞くほうだからわかりやすい。面白くなってきたじゃない?久しぶりだなこういう感じ。もう忘れかけていたよ。充実感がなければ生きている意味がない。生きたいって思いたい。本当は誰でも死にたいなんて思いたくないはずなんだ。人間には生存本能があるのだから。


意外と難しいな…先生が求めるものがどういうものなのかがわからない。先生にとって使えるものでなければならないのです。先生が僕との診察で選ぶ言葉とほかの患者さんに対して選ぶ言葉は違うはず。先生が求めるものはほかの大多数の『普通の』患者さんに対して選ぶ言葉。実際に先生が普通の患者さんにどんなことを言っているのかなんて僕にわかるはずがない。僕が知っているのは僕に対する先生の言葉だけです。僕が考えていることが先生の考えていることと同じであるとは限らない。同じであっても実際に診察で採用しているものでなければ意味がない。僕が実際に先生からもらった言葉と僕自身が考えたことしかわからない。
先生が求めるものがまだ曖昧過ぎる。もう少し詳しく聞いてみる必要がある。とりあえず僕がわかることだけを並べて、そこから先生に選んでもらうしかない。どれだけ実用的な言葉があるかわからないけれど…今の段階ではそうするしかない。時間はあると言っていた。焦る必要はない。最終的に少しでも先生の役に立てればいい。先生のために。自分のために。


指示的療法と非指示的療法。指示的カウンセリングと非指示的カウンセリング。両者の立場の違いはクライエントが自らの力で問題を解決できると考えるか否か。


現在午前4時12分。頭を掻いて起きました。記憶にない顔を掻いた形跡があったので、それによって頭の痒みが誘発されたのだと思われます。いつものように力を抜くことを意識して被害をできるだけ小さくすることができました。惨状と呼ばなくていいくらいの被害で済みました。顔は左の頬と唇の上の辺りを掻いた形跡がありました。最近ずっと汁が固まっている箇所です。概して大した被害ではありませんでしたが、痒くて掻いて起きてしまったことには変わらない。精神的にはやはりつらいものがあります。しかし先生とお話することで得た高揚感はまだ持続しているようで、気持ちは思うよりも落ちていません。まあまた明日から記録を作り直していけばいいよね。病気だから仕方ない。僕はよくやっている。精一杯やっているのだから仕方ないよ。明日もできるだけ早く起きたいと思う。寝直します。おやすみなさい…