妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

早く起きたので街に出かけます。外に出ることそれ自体に意味がある。普通に眠れて早起きして街に出る。これが当たり前になったとき、僕はきっと何でもできるようになっている。


ドトールに来ました。カフェラテを飲む。もちろんホット。体を冷やさないようにしたい。いつものカフェが開くまで時間をつぶす。眠い…質が悪かったのかも知れない。昨日は気持ちが上がっていたのに結局何もできなかった。鼻炎のせい。今朝も鼻水が出ていたけれど、どうにか治まったようだ。一応ポケットティッシュを持ってきているから安心感。鼻炎は頭痛につながるから厄介なんだ。アレルギー体質だから仕方ない。病気だから仕方ない。今日は自分の道に没頭したいと思う。


いつものカフェに来ました。外を歩いたら暑くなってきた。珍しくお客がいない。タイミングだね。クロワッサンとラテでひとりランチ。今日は最低限に徹する。食後にピンクのレキソタン。ほらやっぱりこれだけでお腹が満たされた。ラテはお腹が膨れやすいと思うのだがどうだろう。食欲というのはストレス解消の部分が小さくないように感じている。ストレスを食べることにぶつけると過食になる。より食べ応えのあるものを欲しがる。甘いものや油っこいもの。味覚が鈍感になっていく。今の僕は単に食欲がない。いろんな欲求が失われている。食欲がないのはそのうちの一つに過ぎない。気力さえ取り戻せたら、欲求は再び出てくるだろう。欲求があることは健全である証拠であって、決して悪いことではない。人間である以上欲求があるというのは当たり前のこと。普通の人間。健康な人間。僕は病気持ち。普通じゃない。健康じゃない。だから仕方ない。これも悪いことではない。仕方ないのだから。仕方ない。


自分で自分の道をひとつに決めなければならない。決めたら後はまっすぐ進むだけ。


調子がよくなれば先のことを考えて迷う。悩みが解決したらすぐに新たなことに悩まされる。悩みは尽きることがない。それが人生か。それが生きるということか。


掃除をした。疲れた…体がふらつく感じがした。カロリーが足りないのかな。体を動かすのに必要な量があることを考えると、食欲がないからといって小食になるのもよくない気がしてきた。しかし食欲がないのに無理に食べる訳にはいかない。自然に任せて食べたいだけ食べるのがよいだろうか。過食にならないように気をつけて。どのくらい食べたらよいのか判断するのは難しい。何をどれだけ食べたらよいのか。何も気にせず食べることができたら楽だろうな。あまり神経質になり過ぎるのもよくないか。難しい。


無理をしてヒゲを短くした。二週間伸ばしっぱなしだった。小さなハサミで適当に長めに切った。だけどやはり時間がかかる。これは僕の手際の悪さとかそういうのじゃなくて、ハサミで長く伸びたヒゲを切るという行為自体が効率の悪いものなのだと思う。ヒゲそりなら数分で終わるはずだ。まあこれも仕方ないか。肌が弱いからハサミで切るしかないのだ。不便な体。ひどく眠い。疲れているのだろうか。